仙台行〜晩翠草堂
宮城県仙台市 '13.10.24〜27
教育工学の研究会で仙台へ。
合間を見て、青葉通り沿いを散策してみました。 |
JR仙台駅(西口) |
青葉通り・・・けやきの並木が心地よい |
青葉通り沿いにある、晩翠草堂(土井晩翠の住居) |
土井晩翠夫妻 |
土井晩翠・・・ 1871〜1952年(明治4年〜昭和27年) 本名 林吉 仙台市生まれ、詩人・英文学者 「荒城の月」の作詞者。 この晩翠草堂は、戦災で住居を失った晩翠のために、教え子や市民有志が中心となり、昭和24年、旧居跡に建てられたもの。遺品が展示されている。 |
晩翠草堂の庭・・・旧居は倍くらい広い敷地だったそう |
「荒城の月」自筆のコピー |
夕暮れの広瀬川(晩翠草堂から徒歩10分ほど) |
仙台は、高校生の時、突如音楽の道を志望、基礎も素養もないままに、はずかしくも著名な音楽の先生を訪ねた思い出の街でもあります。 |
研究会後(27日)、 津波被災地(亘理町〜名取市〜塩釜市)を視察。 塩釜市の復興した笹かまぼこ工場で昼食。 その後、魚市場周辺を見学、多賀城跡に立ち寄り帰路に着きました。 折しも27日仙台市は、宮城県知事選挙、駅伝、日本シリーズ第1戦と熱く湧いていました。 |
亘理町で・・・元は美しい水田だった |
名取市で・・・この地域で唯一残った住宅。左前方は、仙台空港。
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名取市閖上(ゆりあげ)の丘・・・この平坦な地域ではいちばん高い場所。この丘に非難した人もいたが、助からなかった。 |
閖上の丘から・・・津波にあった住宅地は跡形もなく、または雑草に覆われ、再建は難しいようだ。
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閖上中学校で・・・帰宅後、津波に襲われ犠牲者が出た。 線香をあげ、冥福を祈る。ここでは、昇降口のガラスに引かれた白線のところまで水がきた。現在、廃校状態。 |